穏やかな死者

僕は廃墟が好きだ。
暗くて、侵入者を拒むように瓦礫が行く手を防ぎ、足元を見れば秋の落ち葉のように散乱した破片。
壊れかけたコンクリート造りの建物や、錆びた鉄棒に美しさを感じる。

この美感の源泉はいったいどこに?

滅んだものへの優位性を感じられるから?
綺麗過ぎる都市での喧騒を忘れさせてくれるから?
人工物が壊れる姿に自然との融和を感じさせるから?

僕の廃墟に対する感情は、死者に対する愛情に通ずるものがあると思っている。
生前の姿の回想を通して得られる、嬉しさでも楽しさでもない何か暖かい橙色の気持ち。でも、その人との対話ができないことを思い出し、哀しい水色の気持ち。この2つの感情の起伏が織り成す、死者に対して特有の感情。

廃墟は、発展することもなければ現状維持もされない、という意味ですでに『死』に伏している。
『生』きていた頃のことは直接的にしらなかったとしても、痕跡や遺物からその廃墟の中で紡がれていた人々の営みを思うたび、勇気のような、それでいて同時に郷愁のような不思議な気持ちが沸き起こってくる。

僕はこれからの人生でどれだけの人を愛していけるだろう。どれだけの死に直面することになるのだろう。
強い意志を受け取ったり、セピア色の思い出にふける時間を与えてくれたり、ふと現実に戻り虚無感を感じたり。
『死』は恐怖ではなかった。喪失でも、なかった。