ルーツ・モチーフ

どんなゲームにもモチーフがある、というのが僕の持論だ。

トランプで二人でやるゲームのうち最も単純なルールのものに(もちろん呼び名にいろいろ差異はあるのだろうが)「戦争」というものがある。54枚のカードを二人で二分しシャッフル、手札とする。二人で同時に手札の一番上のカードを場に出し合い、大きいほうが場に出ている2枚のカードを獲得する。手札が切れたら獲得したカードをシャッフル、手札とする。これを繰り返して、最終的にカードがなくなったほうが負け。
このゲームのモチーフは、まさに本当の「戦争」なんだろう、と子供心に考えていた。それぞれの軍が縦一列に並び、先頭のもの同士がぶつかり合う白兵戦中心のころの戦争。強い者が生き残り、弱き者は居場所を失う。
残酷だがある種のリアリティのあるシビアな世界描写に心躍らせていた。

野球のモチーフも考えたことがある。
守備側がボールを投げて、攻撃側がバットで打ち返すこの競技のルーツは、大砲にあると考えた。
ストーリーはこうだ。守備側がボールを投げることは、砲台から砲弾を射出することを意味しており、攻撃側は1・2・3塁、ホームベースという4つの『城』を守るために砲弾を打ち返す。グローブをもった人間は砲台だ。4つの城の近くに陣取っていて、ボールがグローブに収まることは、すなわち至近の城に近距離射撃を行う準備ができたことを意味している。敵の砲撃をかいくぐり、4つの城を一巡して伝令を伝えれば勝利となる―
防御側のチームが攻城軍、攻撃側のチームが防衛軍という構図の包囲攻撃が野球の起源なんだと子供のころ確信していた。

新しいゲームに触れ、そのゲームがリアリティを感じさせないものであればあるほど、そのゲームをリアリティと結び付けようとしてモチーフを探ろうとする僕だが、一人で遊ぶゲーム全般、例えば15パズルやピクチャーロジックといったゲームのモチーフは深く考えたことはあまりないし、考えてことがあってもなんらかのモチーフにたどり着いたことはない。僕にとってソリティアがモチーフを持たないのは、結局のところ僕が他者との競争にリアリティを見出しているからなんだろうと思う。他者と1つしかない勝利を求め敵対し、戦略や運、スキルを用いて淘汰する。優位の獲得のストーリーは、ソリティアが持つことの無い性質だ。
ストーリー性こそが、僕にとっての闘争心の源泉なんだと感じた。